膨大な時間をかけて起案をするという方法に終始するのが当然であるかのような風潮が流れているのか。
もっと言ってしまえば、
なぜ弁護士業務は非効率のまま現代においても保存されてしまっているのか?
それは、弁護士という職に就く人間が、実直で素直すぎる気質の者が多いことに原因があると思う。
弁護士になるためには、司法試験に合格しなければならないわけだが、さらに言えば、大半の人間が高学歴であって、
人生においてかなりの時間を勉強に捧げてきた者が多い(もちろん例外はいるが)。
基本的に受験、試験が得意な人間が多いのである。
試験に合格するためには、先生から言われたことを素直にこなし、
自分で地道に継続的に努力をする必要が、基本的にはある。
私の実感ではあるが、高学歴であればあるほど、実直で上に言われたことを素直にひたすらこなす人が多いのである。
官僚養成学校の東大なんかはその最たる例であろう。
私は珍しく、反抗的?というか、いちいち、えー、えんどくさいなー。とか思ってしまうタイプで、常に、
「どうやったらもっと楽にできるのだろうか。」「果たしてそれは目的達成のために必要なのであろうか。」と、
先人の教えに対していちいち疑ってかかる。
中には、ああ、言うこときいとけばよかったーとかなることもあるが、
基本的には、私は楽をしてここまでこれた人間だと思う。
さて、導入はこのあたりにしておいて、
業務効率のためには何が必要か?
斬新なアイデア等はもちろん必要なのであるが、
その大前提として、
めんどくさいと思うこと
この気持ちが必要不可欠である。
この業界の人間の悪いところは、めんどくさいと多少思っても、そのやり方を疑わず、ただひたすらに耐えて今までのやり方を踏襲する傾向にある点であると考えている。
その結果が、非常に業務効率の悪いままの仕事スタイルがメインの集団たる弁護士なのである。
上記で話した通り、小さい頃からお勉強を素直にやってきたおぼっちゃん、お嬢ちゃんの集まりであることからしてもしょうがないとも思うが、
少し楽をする方法というものを考えてもいいのではないかと思う。
「サルでもできる弁護士業」というような本もあるが、
これは業務の効率化、分業化を徹底して考えた結果であろうと思う。
別記事では、分業化について話したいと思うが、学生でも、社会人でも、
そのやり方しかないのか?
と一度立ち止まって考えてみて欲しい。
そこから効率化による利益の拡大は始まるであろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿